Jij Tech Blog

Jij inc.の開発日記です

代数幾何の考え方 其の一

 

代数幾何とは、大雑把に言えば図形を代数学の言葉で扱う分野です。しかし、図形を代数の言語で扱って良いことを保証するための準備(特にヒルベルトの零点定理)に辿り着くまでにはそれなりに代数学、特に可換環論の知識が必要です。

本記事では、厳密さにはそこまで拘らずに比較的直感的に代数幾何の考え方を説明します。しかし、そうは言っても、可換代数のある程度の知識は必要です。可換環論の基礎的事項を理解していきながら、ヒルベルトの零点定理の直感的理解までを目指すことにしましょう。幾何である以上、素朴集合論(特に同値関係や商集合)に加えて、陰函数定理についての理解と位相のごく基本的な知識(位相の定義と連続函数の定義)は仮定します。この記事では、環と言えば可換環を指すこととします。

 

導入

 

幾何学で元来扱ってきた対象のうちの一つに、級として、を充たすの点の全体、即ちの共通零点があります。これに陰函数定理を適用することで、特異点を除いた点に対しては級微分同相な開集合(局所座標)を割り当てることができます。この事実に基づき、可微分多様体を、各点に局所座標を割り当て貼り付けることで全体を覆うことができる対象と定義することで、もはやユークリッド空間に埋め込まれているとは限らない対象(例えば対数函数の一意化リーマン面など)へと思考を飛躍させることができました。

代数幾何では、特に、それぞれのが多項式で表される場合に注目し、代数学の言葉を多く用いて記述してみようという別のアプローチをとります。まずは、その為に必要な代数学(特に可換環論)の言葉を次の節から説明していきましょう。

 

環の定義

 

環の定義

 

環とは、集合と二つの写像の組で、に関して可換群となり(の単位元をと書きます)、の単位元があって(これをと書きます)、積の交換法則及び和の分配法則が成り立つもののことを言います。どのように和と積の演算が定義されているか明らかな場合は、ではなく単にと書きます。

 

の部分環とは、の空でない部分集合

及びが成り立つとき、組のことを言います。ただし、はそれぞれへの制限です。

 

環の例:整数環、体上の変数多項式環

 

イデアルと剰余環

 

まず、イデアルと呼ばれる、環の特別な部分集合の定義を述べましょう。環の空でない部分集合がイデアルであるとは、の中で足し算について閉じていて、さらにの元に対してのどんな元を掛けてもに入ってくれるようなもののことを言います。ちゃんと書くと

という条件になります。もちろん、そのものものイデアルです。以下、慣例に従いと書きます。

 

整数環で例を見てみましょう。イデアルの定義の二番目の性質から、何か元があればその整数倍の全てもに含まれています。の場合は全て零ですが、なので、のみを元とする部分集合もイデアルになっています。整数環に限りませんが、このようなイデアルを零イデアルと言い、で表します。でないイデアルを考えましょう。に含まれる、絶対値が最小の整数とします。では、以外の元が含んでいたらどうでしょうか?を含むので、引き算(イデアルの定義によりの元を掛けた元もイデアルに含まれるので)して

も含みます。ところが、なので、これはに含まれる絶対値最小の整数であったことに矛盾します。よって、整数環のイデアルは必ずのような形をしています。いちいちこのように書くのは面倒なので、環の部分集合によりと書けるような元の全体からなる集合をと書くことにしましょう(が無限集合なら、それから有限個をとってきて上のように書けるような元の全体と定義されます)。これはイデアルになります。のことをイデアルの生成系、の元のことを生成元と言います。この書き方を用いれば、整数環の任意のイデアルはという形に表せます。

 

他にもイデアルの例を挙げてみましょう。上のある収束半径で収束する係数の冪級数の全体は、互いに足しても掛けてもやはり内で収束するので、これは環をなします。さらに、原点でとなるような級数を考えたとき、それらは足してもやはり原点でになりますし、また原点でになるとは限らない級数を掛けても、やはり原点でになってくれます。これはまさに、原点でになるような級数の全体がイデアルになることを言っています。

 

具体的な環やイデアルの性質を調べるには、具体的な環でよく表れる性質を抽象した、ある一定の条件を充たす環を定義して一般論を先に作っておき、後に具体的な環に適用します。まずは整域という環を定義しましょう。ならばが成り立つ、要するに掛けて零に潰れないような環のことを、整域と言います。も整域です。さらに、任意のイデアルに対してある一つの元が選べてと書けるような整域のことを、単項イデアル整域と言います。上で見たように、は単項イデアル整域です。

 

のイデアルに対し、の元であるときであると定義します。これが同値関係であることは簡単に確かめられます。この同値関係による商集合の元に対し、

により和と積と定義します。ただし、ここでの形の集合はを表し、イデアルの定義により上のような式変形ができます。このようにして環の構造を入れたのことを、のイデアルによる剰余環と言います。

 

素イデアル

 

に於けるイデアルに対して、素イデアルと呼ばれる特別なクラスを定義しましょう。素イデアルとは、ならを充たすイデアルのことを言います。イメージとしては、掛け算に関して素イデアルの外の元を締め出しているような感じです。

 

名前の付け方からもそんな感じがしますが、素数に対しては素イデアルになります。実際に確かめてみて下さい。一般の環に対しては、発想を逆転させてが素イデアルになるような元のことを素元と言います。

 

暫く、後に必要になる概念や事実を予め紹介しておきましょう。まず、環の元が単元であるとは、ある元が存在してとなることで、単元に対してこの条件を充たすのことを、の逆元と言いで表します。また、正確な定義はここでは書きませんが大雑把に言うと、任意の単元でない元が素元の積として一意的に分解できる(素因数分解できる)整域のことを、一意分解整域と言います。実は、単項イデアル整域なら一意分解整域であることが示せます。よって、は一意分解整域でもあります。体とは、を除く全ての元が逆元を持つ、即ち単元である環のことを言います。また、環の元が既約元であるとは、が単元ではなく、且つならのいずれかが単元にならなければならない元と定義され、実は、一意分解整域に於いては素元と既約元とは同値な概念であることが示せます。

 

多項式環と、その素イデアルの幾何学的イメージ

 

の元を係数、を変数とする多項式の全体は足し算と掛け算により環になります。これをと書き、環上の変数多項式環と言います。特に、体上の変数多項式環は単項イデアル整域であることが証明でき、よって一意分解整域です。単項イデアル整域であることの証明には、整数環と体上の一変数多項式環に共通する「割り算ができて、余りが一意に定まる」という性質が関わっています。一意分解整域上の変数多項式環も一意分解整域であることが証明でき、故に体上の変数多項式環は、環上のを変数とする一変数多項式環と見做すことにより、帰納的に一意分解整域であることが分かります。の元が既約である、つまり多項式が既約であることは、上で述べたことによりが素イデアルであることと同値です。

 

に対してを、任意のに対してを充たすの元の全体としましょう。の部分集合が代数的集合であるとは、があってと書けることを言います。にザリスキ位相と呼ばれるある特別な位相を入れて考えてみましょう。代数的集合を考察する上では、例えばの通常の位相なんかより、ザリスキ位相の方が色々な議論を展開する上で好都合なことが多いのです。

即ちの閉集合を、その代数的部分集合の全体で定義します。実際、とすればであり、、とすればになります。また

は一般に非加算無限個)となり、さらに

が成り立つからです。(厳密に言えば省略もありますが、上では自然演繹に基づいて命題の変形を施しています。直感的にも意味を把握しておきましょう。)ただし、ここでとします。一般に、位相空間の部分集合が既約であるとは、に真に含まれる閉集合ならばとなることはないことと定義されます。これは、及びで定義されるような代数的集合は既約でない(可約である)ことを厳密に定式化した概念です。

ザリスキ位相のイメージを摑むため、の場合を考えてみましょう。の通常の位相に関して、を適当な多項式としてを充たすの集合は、が連続函数であることとの閉集合であることより閉集合です。これはつまり、の場合ならザリスキ位相の方が通常の位相よりも粗いことを言っています。

 

に対してを、任意のに対してを充たすの元の全体としましょう。これがイデアルになることは容易に確認できます。この記事の到達点は、幾何学的対象を代数の言葉で記述することの正当性を直感的に理解することでした。多項式環のイデアルは、を対応付けることで図形になり、逆に図形に対してを対応付けることでイデアルになります。後で紹介する「ヒルベルトの零点定理」から導びけることの一つとして、実は、にザリスキ位相を入れて考えた下では、のイデアルに対してが既約な代数的集合であることとが素イデアルであることは同値になっているということがあります。このようにすれば、素イデアルの幾何学的イメージは、複数の既約な代数的集合に分けて表すことのできないという意味で無駄のない図形であると言えます。

 

ある図形を調べようと思ったとき、それが可約なら既約集合に分解してそれぞれ調べればよいのですから、のイデアルの中でも、特に素イデアルを重視すべきであろうと言う直感が湧いてきます。

 

代数幾何の考え方 其の二」に続きます。