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超伝導量子ビットによるダークマター探査

序章: ダークマターとは

概要

ダークマターは人類がまだよく分かっていない未知の物質です。宇宙に数多く存在するにもかかわらず電磁気的な相互作用をしない(電磁波を出さない)ことから、目に見えない物質「暗黒物質」と呼ばれています。ダークマターの特徴として、重力相互作用しかしないだろうというものがあります。

観測の歴史

銀河団に含まれる銀河の固有運動からの推定

ダークマターは天文学的な観測が最初の発見です。Zwickyが銀河団中の銀河の運動から質量を推定し、見えない質量の存在を指摘しました。

円盤銀河の回転曲線

銀河団スケールだけでなく、銀河スケールでもその存在が間接的に示唆されていました。以下の図は、縦軸に円盤銀河の回転速度、横軸に銀河中心からの距離 Rでデータをプロットしたものです。

Rotation curve of M33
M33の回転曲線

直線は観測から得られた回転速度をフィッティングしたもの、破線はダークマターがない場合に予想される回転曲線です。ダークマターがなく明るく輝く銀河成分しかない場合は、 V_\phi \propto R^{-1/2}にしたがって徐々に減少していきます。しかし、観測結果はそうなっていません。これは銀河の外側に目には見えない重力源があることを示唆しており、これをダークマターハロー(あるいはダークハロー)と呼ばれています。以下は天の川銀河の質量の各成分を示したものです。ダークマターは目に見えるバルジ・ディスク成分の10倍も存在していると言われています。

  •  M_{\rm bulge} \sim 2 \times 10^{10} M_\odot
  •  M_{\rm disk} \sim 6 \times 10^{10} M_\odot
  •  M_{\rm halo} \sim (M_{\rm bulge} + M_{\rm disk}) \times 10

素粒子としてのダークマター

ダークマターの候補として有力視されているのが、超対称性理論によって予言されているニュートラリーノという粒子です。ニュートラリーノは粒子と反粒子が同一であるフェルミ粒子の種族、すなわちマヨラナ粒子と考えられています。ニュートラリーノ同士が衝突すると対消滅を起こして、電子・陽電子やガンマ線を生成するとされています。よってダークマターの密度が濃いとされている天の川銀河中心などを観測し、ダークマター粒子の対消滅により発生するガンマ線をキャッチできれば、ダークマターの理解に近づけると期待が寄せられています。

その他の有力候補としてアクシオンなどが注目を集めています。本論文ではアクシオンダークマターの検出を目指して検出器が考案されています。素粒子としてのダークマターに興味のある方は他の文献も調べてみると良いでしょう。

超伝導量子ビットでダークマター粒子を探索

理論

先述の通り、ダークマターそれ自身は重力相互作用しか受けることができません。しかし、重力を通して他の物質に影響を及ぼします。ダークマターによって周囲の物質が揺らぎ、それによって発生する電流を {\bf j}_{\rm DM}と書きましょう。するとファラデーの法則から電磁場が発生します。

 \displaystyle{
\nabla \times {\bf B} - \frac{\partial {\bf E}}{\partial t} = {\bf j}_{\rm DM}
}

量子力学では電磁場=光子(photon)です。よって光子の数を数えて、その変動を見ればダークマター粒子の痕跡を探ることが可能です。

光子測定器

そこでこの論文では以下のような、トランズモン量子ビットを用いた光子測定装置を考案しました。

Superconducting transmon qubit coupled with storage cavity
超伝導トランズモン量子ビットを用いた検出器

図の下部の青い部分が光子を閉じ込めておくストレージキャビティと呼ばれる部分、図の上部の赤い部分が光子の数を数えるリードアウトキャビティ、そしてその2つをトランズモン量子ビットで接続します。分散限界(量子ビットとキャビティがカップリングしている状態 $\ll$ デカップリングしている状態)では量子ビットとキャビティの相互作用は

 \displaystyle{
\mathcal{H}/\hbar = \omega_c a^\dagger a + \frac{1}{2} (\omega_q + 2\chi a^\dagger a) \sigma_z
}

のようなJaynes-Cummings Hamiltonianで表されます。ここで a^\dagger, aは光子の生成・消滅演算子、 \omega_cはキャビティ振動数、 \omega_qは量子ビット振動数、そして 2\chiは光子数 n = a^\dagger aに依存した周波数シフトです。量子ビットとキャビティの相互作用を表す項は第3項です。

Qubit spectroscopy
量子ビットのスペクトル

上の図は、縦軸が量子ビットが励起状態になる確率、横軸が量子ビット振動数 \omega_qです。光子の個数によって量子ビットが励起状態になる確率が変化します。これによりキャビティ内にある光子の個数を数えることができます。

なぜ量子ビットを使うのか?

なぜダークマターによって発生した光子を1個単位で分解して観測する必要があるのでしょうか。光子数を数える装置として以下が挙げられます。

  • 超伝導ナノワイヤー検出器
  • 光電子増倍管

しかし、これらは今回のようにダークマターにより発生するとされているマイクロ波程度の波長(低エネルギー)の光子を測定することには長けていません。マイクロ波領域で感度の高く、ダークマター実験で期待される弱いシグナルレートに見合うだけのものを作る必要があることから、超伝導量子ビットを用いた検出器を提案しています。

この検出器の感度

Hidden photon dark matter parameter space
検出器が90%の信頼区間で検出できるダークマター由来のフォトン領域

上の図は種々の反応による光子の帯域の上に、紫色でこの量子ビットによる検出器で観測できる光子の領域を重ね合わせたものです。グレーの領域は宇宙マイクロ波背景放射(CMB)や恒星からの光などの余計な成分、そして淡いオレンジの部分がインフレーション理論から予言されているダークマターの領域です。今回ご紹介した検出器は、特に6.011GHzのエネルギーに対して感度が高くなっていることがわかります。もしダークマターにより発生する光子がこの帯域ならば、広いパラメータ領域のダークマターを検出できる可能性があることを示唆しています。

結言

超伝導量子ビットの応用例の1つとして、ダークマター探索の論文をご紹介しました。

文責

中村翔、株式会社Jij
Sho K. NAKAMURA, Jij inc.
憂いの篩 -Pensieve-

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